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マーク・ケイ
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11年
占術
篁霊祥命 / リーディング
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「知る」ということ

2017-07-28 12:58:48

*公式サイトにて多くのアクセスを頂いている記事、ご好評を頂いている記事を抜粋してこちらに掲載しております。詳細は公式サイトをご参照下さい。


私自身が、かつてはパニック障害や社会不安障害という病を抱えていたこともあり、心の病を抱えた方々からのご相談や、ご連絡を受けることが日頃から多くあります。

そうした方々と交流を重ねて行く時に、いつも思うことがあります。
それは「知る」ということの大切さです。

私は、うつ病などの心の病を抱えていらっしゃる方に、いつもお話をすることがあります。

それは精神科や心療内科で「うつ病」だと診断されたのだとしたら、それは医学によって貴方の心は「正常」であるとお墨付きを貰ったということなのだと。

政治も、社会も、人々の心も疲弊し、錯綜し、混乱し、冷えきって行く中で「正常」を装っている方がよほど「異常」であり、「強さ」と「弱さ」の二元論の中に封じ込められていくことは何よりも息苦しいものです。

この世の中を、必死で生きていく中に於いて、痛みを抱え、迷走し、自分を責めなければならなくなった方々にこそ、私は親近感を感じ、愛おしくさえ思えてしまいます。

ある本の中でリリー・フランキーさんもこのようにお話をされています。
「鬱は大人のたしなみですよ。それぐらいの感受性を持っている人じゃないと、俺は友達になりたくないから。こんな腐った世の中では少々気が滅入らないと。正常でいる方が難しいですよ」(「サブカル・スーパースター鬱伝」吉田豪 著)

私はこの言葉の、どこを取っても同意出来るのです。

心の病を持っていらっしゃる方々の多くは、ご自身の病気、そしてそのような状態にある自分を卑下されており、将来に悲観的な展望しか見出せないでいます。

そして狭い価値観の中に、佇みながら、自分や周囲を決めつけてしまい、身動きが取れなくなっています。

それは、ご本人や、ご家族が、病気への理解や知識を深めることなく、「知る」努力を怠っていたり、「知ろう」とする気概すら失っていたり、「知ろう」とする動機にさえ巡り会えていない現実があるからでもあります。

人は「知る」ことを恐れます。常に自分が既に「知っている」ことの範疇の中で生きていることの方が楽だからですし、「知る」ことによって、自分が当たり前だと思っていたものが揺るがされ、それによって傷付くことさえあるのだという予防線を張ってしまっているのかもしれません。

「知る」ことを拒むということ。それは新しい地平に踏み込むことをせずに、じっと今踏みしめている場所に佇み続けるということです。

では何故、今踏みしめている場所に佇み続けるのでしょうか。それは一歩を踏み出すことに恐怖を感じているからです。自分の家の庭先を想像してみて下さい。マンションやアパート住まいで庭がないという方はベランダを想像してみて下さい。いつも自分の家の庭先やベランダからだけ外の世界を伺います。そこから一歩外に踏み出すと、きっと自分は立ち所に居場所を見失い、心細くなるに決まっている。

そこには自分を傷付ける人達がいて、否定されたり、非難されたりするはずだ。外の世界はきっと快適ではなく、庭先やベランダのように自室にすぐには逃げ込めない。外の世界を知り、そこへ踏み出すということは、自分の立場を危うくし、これまで信じて疑わなかったことが否定されてしまい、傷付いてしまうかもしれないのだと、あらかじめ自分が傷付いてしまうことのリハーサルを心の中でしてしまうのです。

人は自分の知り得ていることが最善でベターなものだと思いがちです。自分の既知の範囲外に自分をより幸せにするためのヒントが隠れていたり、自分の生活を豊かにするためのキッカケが含まれているかもしれないと薄々は分かっていたとしても、新しい体験をすることや、新しい価値観を自分に取り入れることは、それまで培って来た自分の歴史を否定されてしまうものだと感じてしまうようです。

「知る」ことを拒んでいた人に、「知る」ことの大切さを伝える、そんな一本の映画を紹介させて下さい。このブログではこれからも、何本かの映画をご紹介することになると思います。これは私が映画好きであるということは勿論、私がお伝えしたいことの真意を、後から映画を観ることで追体験して頂けるからです。私にとって映画は娯楽以上の意味合いを持っていますし、単なる現実逃避のツールでもありません。いわば人生の師、というと大袈裟でしょうか。映画は人生を豊かにするエッセンスが詰まっていますし、人を目覚めさせ、人生を大きく転換、変革する力をも有していると思います。「何を観ようかな」と映画を選ぶ行為は、人生を選ぶ行為と同じだと考えているのです。

ご紹介したい映画とは「イントゥ・ザ・ワイルド」という作品です。俳優として国際的にも高い評価を得ているショーン・ペンが2007年に監督を務めた作品です。この映画が公開された時に、私は既に占術家としてのキャリアをスタートさせていましたが、壁にぶつかっている時期で、非常に大きな挫折感を感じていました。そんな時に何気なく、この「イントゥ・ザ・ワイルド」を観に劇場に足を運んで深い感銘を受けたのです。

この作品はジャーナリスト、作家、登山家でもある米国出身のジョン・クラカワーによって1996年に書かれたノンフィクション「荒野へ」が下敷きとなっています。1990年の夏、アメリカの東海岸の裕福な家庭で育ったクリス・マッカンドレスは、ジョージア州アトランタにあるエモリー大学を優秀な成績で卒業するのですが、クリスはその直後に失踪するのです。クリスと妹のカリーンは母親が前夫と婚姻中に父であるウォルトとの不倫関係の末に生まれました。

クリスは幼い頃から両親の不仲を目の当たりにしています。権威主義であり、自分の考えたレールの上にクリスがそれを疑わずに乗ることがクリスの、そしてひいては家族の幸せに繋がるのだと信じ、そのためなら何でもお金で解決しようとする父、世間体ばかりを気にして子ども達の心に寄り添うことが出来ない母の間で、苦悩しながら育ちます。

クリスは卒業後に、名前を「アレグザンダー・スーパートランプ」と変え、24,000ドルの預金を全額慈善団体に寄付し、車を乗り捨て、その車の側で財布に残っていた現金を全て燃やして、新しい人生と、新鮮な素晴らしい経験を求めて、旅に出るのです。

旅の途中で様々な人々と出会い、共に働き、生活をします。出会った全ての人々の価値観を揺さぶり、清々しい風を送り届け、影響を有形無形に与えていきます。クリスはアメリカ大陸を縦断し、アラスカにたどり着いて自給自足の生活を送りますが、毒性のあるアメリカホドイモの莢を食べて衰弱し、亡くなってしまいます。

詳しくは映画「イントゥ・ザ・ワイルド」をご覧頂くか、原作の「荒野へ」を読んで頂きたいのですが、ここで特にご紹介したいのは、クリスが旅の途中で出会ったロン・フランツという老人との交流なのです。主人公アレックスが家族もなく友人もいない孤独で心に傷を持つ老人フランツへ宛てた手紙の抜粋を書き添えたいと思います。(この映画は実話を元にしており、以下の手紙は実際にアレックスがフランツへ送った手紙をクラカワー著「荒野へ」から引用しています)

『あなたには、もう一度以前と同じアドバイスをさせてください。貴方は思いきってライフスタイルを変え、これまで考え てみなかったこと、あるいはなかなか踏んぎりがつかずに躊躇していたことを大胆に始めるべきだと思っているからです。

多くの人々は恵まれない環境で暮らし、いまだにその状況を自ら率先して変えようとはしていません。彼らは安全で、画一 的で、保守的な生活に慣らされているからです。それは唯一無二の心の安らぎであるかのように見えるかもしれませんが、 生きる気力の中心にあるのは冒険への情熱です。

生きる喜びはあらたな体験との出会いから生まれます。したがって、たえ ず変化してやまない水平線をわが物にしているほど大きな喜びはありません。毎日、あたらしいべつの太陽を自分のものに できるのです。

人生からもっと多くのもの得たければ、ロン、単調な安全を求めるのはやめて、最初は常軌を逸しているようないい加減な生き方をしなければならないのです。でも、そうした生き方に慣れてくれば、その真の意味とすばらしい美しさがわかるで しょう。

しかし、ぼくのアドバイスなど聞いてはもらえないでしょう。ぼくのことを頑固だと思っているようですが、あなたの方が 頑固者です。車での帰途、あなたはグランドキャニオンという最高の景色のひとつを眺めるすばらしいチャンスに恵まれま した。アメリカ人なら一生に一度は見ておくべき景色です。だが、ぼくにはわからないなんらかの理由で、あなたは家にま っすぐ帰ることばかり考えていました。くる日もくる日も、目にしている同じ場所へいっさんに。

これからも、こういう生き方をつづけて、そのために神が僕たちに発見させようとして周囲に配置してくれたすばらしいものを、あなたはなにひとつ発見できないのではないかと思います。 定住したり、一か所に腰を落ちつけたりしてはなりません。あちこち動きまわり、放浪し、毎日毎日、水平線をあらたなものにしていくのです。人生の残り時間はまだまだたっぷりあります。

ロン、この機会に生活を根本から変えて、まったくべつの体験領域に入ってくれればいいのですが。 楽しみをもたらしてくれるのは人間関係だけであるとか、人間関係を中心にそれを期待しているとすれば、それはまちがいです。

神は楽しみをぼくたちの周囲のあらゆるところに配してくれています。ありとあらゆること、なんにでも、僕たちは 楽しみを見出せるのです。習慣的なライフスタイルに逆らって、型にはまらない生き方をするには勇気が必要です。

要するに、あなたの生活にこの種のあたらしい光りを灯してくれるのは、ぼくでもほかの誰かでもないということです。あ なたはただそこにじっと待っていて、それを掴もうとしているだけなのです。なすべきことはただひとつ、自分でそれを掴みにいくことです。

あなたが闘っている相手はまさに自分自身であり、あたらしい環境に入ろうとしない頑固さです。物を見たり、人と会った りするのです。学ぶことはいっぱいあります。

ためらったり、あるいは、自分に言い訳するのを許さないでください。ただ、飛び出して、実行するだけでよいのです。飛び出して、実行するだけで。そうすれば、ほんとうによかったと心から思 えるでしょう。

ご自愛ください、アレックス』

「荒野へ」ジョン・クラカワー著 (2007年) 集英社文庫

自分の殻に閉じこもっていて、なかなか新しい人生へ踏み出せないでいる方は、自分宛てに書かれた手紙だと思って読んでみると良いのではないでしょうか。

これは冒頭にお話をした心の病について「知る」ということにも有効なのです。

私が交流をしている心の病を持っておられる方々の多くは、家族や周囲にいる友人知人の方々が、本人の病気について積極的に「知る」努力をされている方は非常に少ないのが現状です。

「知ろう」とする行為、新しい体験領域に飛び込む勇気は、自分自身を変えるばかりか、自分の身近にいる人に寄り添い、背中を押し、励ますことにも繋がって行くのだと知って頂きたいのです。

勿論、心の病を持っている本人にとっても「知る」ことは大きな一歩になり得ます。自分が何故その病を抱えてしまったのか、そしてその病気はどのようなものなのか、それを「知れば」自分を理解してあげることにも繋がりますし、自分を許すことにも繋がります。何故なら、本人はこうした場合、自身の境遇について、罪悪感に苛まれているからです。

「知る」ことによって、現在の自分の境遇は、自分や他の誰かによって強いられたものではないことに気付きます。

そして何よりも、その病気を本人やご家族、友人知人の方々が「知る」ことによって、ご本人を巡る、それぞれの関係性を見直す大きなチャンスにもなります。

「○○という病になったから、私はこうなのだ」という認識から・・・

「○○という病になったからこそ、私はこういう気付きを得られたのだ」
「○○という病になったからこそ、私はそれを生産的な方向に用いることが可能なのだ」
と、自分の病を1つの「個性」や「感性」や「才能」だと見なすことにも繋がっていくのです。

うつ病も、パニック障害も、摂食障害も、不登校も、ひきこもりだって、そうです。

当事者の心を理解する為には、家族がその病気について深く「知る」努力をし、心の歴史に分け入り、共有することで、本人が自分を責めたり、自信を失ってしまうことを防げるのです。

最近つとに「発達障害」についてのご相談が多くなって来ています。
少し前までは「発達障害」と聞いてもピンと来なかった方も多いでしょうし、子供だけに起こる問題だと認識されている方も多かったはずです。

しかし、ここ最近は「大人の発達障害」が大きな社会問題化しつつあり、関係書籍もたくさん出版されるようになりました。

そして、その「発達障害」に関係して、「知る」ことについての大切さを心底考えさせられることが最近あったんです。

私の身近な知人の職場に数ヶ月前に入社した若い女性の方がいらっしゃいます。その女性について職場で問題になっていると知人に相談を受けたのです。その女性は随分変わった人であるらしく、同じ職場で働く同僚の皆さんが対応に困っているというのです。

その女性は、私が知人の話しを伺った時点では自分が「発達障害」であることを認識していません。そして知人も「発達障害」について、ほとんどというくらい知識を持ち合わせていませんでした。

人にもよりますが「発達障害」の方は日差しが燦々と降り注ぐような明るい場所を嫌う傾向にあります。普通の感覚ですと、そういう環境は好ましいもので、心地良い、気持ちいいと感じますが「発達障害」の場合は違います。

職場の自分の席が日差しで眩しいと、カーテンを閉め切ってしまい、部屋を暗くしてしまうので同僚達は暗がりの中で仕事をする訳にもいかないので、日差しが気持ちいいのにも関わらず、照明を点けて仕事をしなければならないというのです。

また「発達障害」の特徴を持つ方は、社会性やコミュニケーションに特徴や癖がありますので、同僚はその態度や口調などに違和感を感じる場面が多くあったようです。 周囲は、この新入社員のことで、気を遣ったり、苛々したりしており、かなりのストレスを抱えているというのです。

私はこのご相談を受けた時に、その特徴から「発達障害」ではないかと疑いました。現在、鑑定活動の傍ら、ひきこもりのご相談やケアも平行して行なっていますが、ひきこもりの原因となり得る典型的な例の1つに「発達障害」が挙げられることから、その特徴などについて日頃から見聞きすることが多いからです。

もし、そうだとしたら同僚の方が「苛々する」ことや「フラストレーション」を抱えることは、フェアーなことではありません。まさに「知る」ことによって「解消」されることでもあり、何よりも、同僚の方々が抱えている「苛々」や「フラストレーション」はそれ自体が彼女の責任ではないからです。

「発達障害」とは、心の問題でも、性格の問題でもありません。「脳」の問題です。彼女がそうしたくて、しているのではなく、この「脳」の障害性がそうさせているのですから、周囲が「苛々」するよりも、彼女のことを真に理解した上で、サポートをし、ケアをすることで、彼女はこの職場で活躍出来て、なくてはならない存在になっていくはずです。

自分の中に巻き起こる「憤り」や「フラストレーション」の表出に時間を割く前に、相手を「知り」「理解」することに時間を割くべきなのです。

それからしばらく経って、私の勧めもあり、この職場の社長さんが、彼女を面談しました。すると彼女が「うつ病」を患っていて、病院にかかっていることを告白したのです。職場でも休憩時間に何種類かの薬を服用していた様ですが、周囲はさほどそのことについて気にかけることもなかったのでしょう。

私は「発達障害」の可能性が高いということも伝えていましたので、社長さんの指示で彼女は後日改めて、医療機関に受診をしたところ「発達障害」の「PDD(広汎性発達障害)」であることが分かり、「うつ病」は「発達障害」の「二次障害」であることも重ねて分かりました。

こうした事実が明るみになったことをキッカケにして、彼女に苛立っていた同僚達は、反対に献身的に彼女をサポートするようになり、その職場で可愛がられ、愛される存在になっているそうです。元々この「発達障害」は、細かい作業や、ルーチンワークが得意なので、任せた仕事は非常に綿密にこなすのです。

彼女自身も自分が「発達障害」である自覚がありませんでしたし、彼女の親もどうやら彼女が「発達障害」であることを疑うことなく、少し変わった子であるとか、育てにくさがあるなという感覚しか持っていなかったようです。

そして大人になってからも、その「発達障害」特有の症状で、随分と職探しに困り、多くの職種を経験した後に、今の職場にようやく辿り着いたようです。勿論それぞれの職場の在籍期間は非常に短かったようです。

もしも、こうした職場に於いて「知る」ことを誰もが拒んだとすると、それは社会全体にとっての大きな損失にも繋がります。

それは何故か。

「知る」ことをしない職場が増える毎に、その「職場」を追われる人達が同時に多く生まれます。こうした仕事を綿密にこなすことが出来る、実は有能である人達が、周囲の「無理解」「知ろうとしない」という行為によって、やっと辿り着いた「職場」を追われると、こうした人達の就業の可能性を閉ざし、社会全体の経済的な損失に連鎖して行くのです。

そして何よりも「発達障害」の特徴を持った人達は、才能溢れる人達でもあるのです。最近ではモデルでタレントの栗原類さんも「発達障害」を告白しています。またアインシュタイン、ゴッホ、モーツァルトから、サティ、ブルックナー、ウィトゲンシュタイン、エジソン、アンデルセンといった偉人達、それにジャック・ニコルソン、ジム・キャリーといったハリウッド俳優達も「発達障害」であると言われています。まさに時代を切り開いて来たのは「発達障害」の特徴を持つ人々だと言っても良いのです。その障害性を周囲が許容し、認めて来たからこそ、その才能は開花したのかもしれません。

しかし、私達の身近にいる「発達障害」の特徴を持った人達はどうでしょう。その才能を開花出来ているでしょうか。周囲は「知る」努力が出来ているでしょうか。

「知ろうとしない」ことは、経済的な損失を生むばかりか、世界を斬新な発想と、豊かな才能で変革し、切り開いて来た創造性や、芸術性の芽も摘んでしまいかねないのです。

こういう経緯を見ても「知る」ことの大切さを、しみじみと理解して頂けるのではないでしょうか。

勿論、「心の病」や「発達障害」だけに限りません。「知る」こと「知ろうとする」ことは、人にとってより「利他的」に「賢明」に生きることに繋がります。

それを少しでもご理解頂けたら、嬉しいなと思います。

*前回投稿時に、全文掲載出来ていませんでしたので再掲しております。

筆者:マーク・ケイ

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